The Gleaners
(落ち穂拾い2)

例年ラジオ技術誌の8月号にはいつもやや長めの駄文を書いていますが2004年8月号では青山電蓄などに触れています。 上記の記事と関係していますので御笑覧ください。そのまま転記しています。

ハイエンド映像趣味の現状

オーディオもそうかもしれませんが映像遊びも新しい試みは出来にくくなりました。 オーディオ以上にメーカに依存せざるを得ないビジュアル遊びでは新しいことはなかなか出来ないものです。
そんなことはないだろう、新製品のプロジエクタもテレビも映画音声用アンプも高画質DVDデコーダもたくさん出ているではないか、との声が聴こえてきそうですがそれはあくまで家電レベルの話です。 確かにそれは著しく改善されました。2~30万でもそれなりに鑑賞に耐えるプロジェクタは売られています。
でも高精細と表示されていても画素数が横1280/縦720あたりでは実は全く駄目なのです。 それは直視型のテレビでも同様でハイビジョンが写ることとハイビジョンの情報を全部表示できることは異なるのです。 趣味としてのハイエンド映像では少なくともハイビジョン映像が真に必要とする1920×1080の表示が全画面領域であらゆる条件下で満足できることが必要ですが メーカはそんなことは口が裂けても言いません。いまでも本当のHiFi画質は大型三管VPでしか得られませんがその三管機がいよいよ無くなってきました。 世間一般での映像趣味はますます盛んになるでしょうがハイエンド映像趣味に適する機材はなくなりつつあるのです。  (そう書いた矢先にシャープがフルパネルの液晶テレビを出しました。 さすがであります、6/15日 追記)CRTが滅び行く昨今では新しい三管機の出現は絶望ですが機能的にいっても三管機でなければいけないことはまだあります。 たとえば球体に多数の画面をくまなく嵌めて、球面全体に一つの映像を投射する場合などは三管機でないと手も足もでないでしょう。 軍用/宇宙航空用途にまだ残っているのはそういうわけです。またメーカの設計とは異なる使い方を強いられる場合でも三管機の方が応用が効くものです。 比較的小ぶりの部屋に高精細な大画面となりますと他に選択肢はありません。

ミラー反射投影システムの実際

昨年の本欄でお話した芦屋のH邸の三管VPを使用したミラーシステムはほぼ1年掛かりましたが昨年末にやっと完成しました。
図1は一般的なVPとスクリーンの関係を上から見たもので図2はそれを横から見たものです。 床置きでも天吊りでも同じことですがミラーを入れることはその光路中に鏡を入れて折り曲げることでもあります。
図3がその概念図でありますがここで大事なことは光路の変更での基本は鏡一枚あたり必ず90度曲げであることです。 90度曲げであれば市販のVPの光学的設計をそのまま生かせるのでインストーラーレベルでもミラーシステムが構築できるのですが90度以外では様々な問題が噴出します。
図3を縦に書き直したものが図4ですが、御覧のようにVPを垂直に設置すると投影面は視聴者からみてかなり上に来てしまいます。これを大きく変更することはなかなか困難なことです。 90度から外れると左右の線が並行にならず台形状に歪み、また上下もピントが全面には結びません。上で合えば下が合わず下で合わせれば上が合わなくなるものです。 ミラーシステムが家庭で採用されないのはこのあたりを解決することが困難だからです。 ここでお気付きのように三管VPでの設置は普通は図1のようにオフセットしていて、スクリーンの真ん中の垂線上にCRTは来ていません。 これはVPを床や天上近くに置いた方が設置に便利なのでそうしているのですが、本来はCRTからまっすぐ延びた線の延長がスクリーンの中心と直交するのが望ましく 軍用や学術用の一部のものにはそういうものもあります。

さて図4で明らかのように光路を90度以上曲げないとスクリーンを下にはもって来れないわけでその場合には十分にティルト補正が効くVPが必要です。 ティルト補正とはスクリーン上下のフォーカスを中心と同じにするもので、これがないと角度をずらせた際にピントが合いません。

三管式では真ん中のレンズは正面から投影する限りは上下だけのティルト修正を考えればいいのですが左右のレンズはそれに加えて水平方向もティルト補正が必要になります。
スクリーンの位置を設計中心値から下げるとミラーの角度は水平に近づきますが折り曲げ角度はかなりきつくなります。つまり設計値から光軸がずれるわけです。 左右袖の垂直線も当然傾きますがこれは電気的に修正するので、その結果CRT蛍光面と実際のラスタ面にデリケートな相関関係が生じます。 ラスタはいかなる場合でもCRTの蛍光面に入っていなくてはならず、このあたりはPD値とも関係するので気が抜けません。
ティルト補正とはレンズとCRT管面の角度をずらす機能のことです。大型蛇腹カメラにはティルトにくわえてシフトが付いていて両方合わせてアオリ機能と言います。 シフト修正とはレンズとピント面を水平に移動させることですが寡聞にしてVPで付いているものは知りません。 4×5や8×10カメラではアオリを駆使することによって厳密な平行性を要する建築写真や商品写真を歪みなく写すことが出来ますがVPではレンズの水平移動はできません。 つまりはティルト機能だけでシフトは出来ませんがカメラにおいてのシフト補正効果はVPにおいては電気的に補正するわけです。
で問題は反射ミラーでこれも一眼レフのミラーと同じ条件が必要です。極度に正確な平面性を要しますしガラスの表面が反射面でないといけません。 そんなわけで普通の鏡は使えないのです。いま入手できるものは重量の関係でプラスチックの表面に金属を精密に蒸着したものですがやはり歪みのこないガラス素材が理想です。 エリートアンプロ社にレトロタイプVPシステム用の大型鏡がありましたのでこれを発注し、枠は精密板金工場に依頼しました。

さて設置や調整は機種ごとに専門的に細分化されたもので一般性はぜんぜんありませんからとくに触れませんが前述のように今回の工事は設置しないと判らない部分も多くて 正確なPD値やCD値(スクリーンとの垂直位置)は出たとこ勝負になりました。VPの光学的諸元が工事出荷位置のままでは床上2m近くに来るスクリーン位置は、 アオリを効かせると最終的に画面下端が床から55cmのところまで下げることが出来ましたしピントは全面で取れました。スクリーンへの入射光を効率良く視聴位置に反射するためと VP自体のイメージサークル(三つのCRTが写し出す合成最大円)の中に確実に画面を入れるためにスクリーンを交換し、最終的にビーム径を絞ってフォーカスが出たのは昨年末で、 最初の絵が出てからほぼ10ヶ月後でありました。これは素晴らしいフォーカス感で最初の絵とは雲泥であります。 クライアントのHさんは大手機械メーカの幹部設計者で、このあたりのことはずいぶんとサポートして戴きましたし機械設備の施工の難しさにも御経験の厚い方でしたのでとても楽しく面白い工事でした。

折角ですから今回痛感したミラー反射システムのカンドコロをお話しておきましょう。 それは、三管VPでは横に3本CRTレンズが並んでいますがスクリーンのどの位置からミラーを眺めても、ミラーのなかに3本とも余裕を持ってバランス良く見えていないといけないのです。 スクリーンの上下左右のどの端からもすべてが余裕を持って見えていることがとても重要です。 一部でも蹴られていると論外ですし余裕を持って見えていないとCRTレンズから出る光がミラー以外の部分に散っているわけで周辺部光量低下とコントラストに問題が出るようです。

フィールド電源での試み

さてHさんのスピーカはWEの555と4194を中心としたものです。もちろんフィールド型ですからエキサイター電源が必要になってきます。 これに関しては奥のふかい研究が多々なされていますから詳細な言及を避けたいのですがHさんのシステム用にAC-DCコンバータをつかって小型でたいそう格好のよいものを作りました。 云う迄もなく本来はタンガバルブを使うのが最良ですが将来に渡っての安定的な確保は困難でしょうし完成品として合理的かつスマートにまとめる自信はありませんでした。 HPあたりの実験用安定化電源で取りあえずは駆動できますし変なものを作るよりその方がいいものです。
でも励磁電源での音の差は驚くべきものがあることも事実で整流素子ひとつでも変わるものです。御承知のようにごく最近はスイッチング電源が大変良くなりました。ハイファイアンプに使用しても全く問題はないどころかむしろ良いものもございます。良い音のものは極めて限られますが今回はトラコパワー社のものを使いました。
さてフィールド型スピーカの場合はボイスコイルとフィールドコイルが磁気回路を介して結合しているので、あえて云えばこれはトランスの一次巻線と二次巻線の関係にも相当します。 それを上手く断ち切ることが良い音を得るためには必要でしょう。これをどう断ち切るかですが今回はフィールドコイルの電圧の数倍の電圧の電源を用意し、直列に抵抗をいれて所定の電圧を出しました。 いかにも安直ですが実はこれが一番よろしい。出力端には電圧計と電流計を入れて直読出来るようにしています。

四本並列システムのこと

さて私は、と云えばいろんなスピーカを手掛けていますがメインスピーカはやはりアキシオム80の四連装です。 (写真2)がそうなのですがこのスピーカのインピーダンスとQの特性を図5に示します。定電圧駆動と定電流駆動での傾向は変わらずインピーダンス変動もQの変動もたいへん滑らかで全く申し分ありません。 こんなにスムースな特性のスピーカも本当に珍しいでしょう。アキシオム80四連装の音の良さは筆舌に尽くし難いものがありますがその一端はずらされた音軸にあるのだと思います。 何度か実験した上での結論ですが80の複数使用では単純な縦配置でも横配置でもいけません。 軸が一点に集中するように少しずつ角度をずらしたこの配置が想像を遥かに超えるピュアでパワフルなエネルギー感をもたらすのでしょう。 感度の視点からも1.5Wの45シングルで今どきのハイエンドスピーカを1KWのアンプで鳴らすのと同じ音量が出ます。このあたり何度か作った2連装システムなどとは全く別物です。 良く知られているようにスピーカを2本並列に接続すると3dB音圧が上昇します。仮に1Wのアンプで鳴らして一本で97dBの音圧が出たとしますと二本で100dBになるわけです。 ただその2本の並べ方が大事で2本を近接して集中する場合でも単に並べただけとある程度の角度を持たせるのとでは相当異なるように思いました。
昔ジョーダンワッツのモジュールユニットを4本使用したシステムを実験したとき、縦でも横でも一列に並べると2本並列使用と比較してさほど能率が上昇したとは感じられず、 アテネータで1ノッチほどつまりは2dB程度であろうかと思いました。2本と4本では理論上は+3dBですからまあそんなものでしょう。 アキシオム80の二本並列は縦でも横でもさらには角度付き横並列もすべてためしていますが指定箱の角度付き横並びが一番鳴りっぷりは良かったようです。 スピーカが具合良く接近するので相互放射インピーダンス効果がよく働いて、そうなるのかとも感じました。指定箱の角度付き二本横並びと比べると普通の縦二本並列は2dBほど低いような感じがしました。 まあこれはあくまで印象ですし部屋でも変わるでしょう。
さて今回、4本を指定どおりの角度を付けて指定どおりに集中配置したところその効率の良さには腰を抜かすほど仰天しました。 正確な比較ではありませんがアテネータで5~6ノッチほど絞らないと1本とおなじになりません。効率にして10~12dBも上がったようです。 スピーカのこのあたりの理屈は良くわからないのですが4本を近接して、あたかも一点から出たように集中配置したときは放射インピーダンス以外の作用が働くのでしょうか。 箱鳴りの問題やアンプの特性も関係するわけですが不思議なことです。カエデの12mm薄板で作りましたから確かに箱は鳴ります。 でも2本では高域が明らかに減衰して聴こえますが4本使用では1本の時よりも更に延びて聴こえますので箱鳴りでは説明がつきにくいのです。
理論とはぜんぜん合いませんが12dB上昇だとするとこのスピーカシステムの効率は110dB程度になります。 でもWE-555に段ボールで大きなメガホンを作って仮に付けたシステムと効率はさほど変わりませんし極めて明解な音は全く不思議と云うほかなく、納得できる理由は思いあたりません。

オーディオマニアからみた青山二郎の電蓄と小林秀雄の「モオツアルト」

2003年は小林秀雄生誕100年で、様々な書物が出ました。 昔から思い出したようには読んでいましたが50歳を過ぎて読むと以前とは受け止め方が全く異なることに気がつきました。どうしてでしょうか。小林は常に現代を語っているように思えてなりません。
さて最近になって新潮社から小林秀雄の様々な講演を入れたCDが出ています。 かつて鎌倉の華正楼で五味康祐が聞き手となった音楽談義があり、ステレオサウンド創刊まもない第2号でそれが巻頭を飾ったことがございました。 1987年になってステレオサウンド社からそれがカセットで刊行され、そして今回は五味さん抜きですがCDとなって店頭に並んでいます。でもCDでの五味抜きの構成はおもしろくありません。 あの五味の小林に対する畏敬と恭順の態度には単に文壇での立場を超えたものがあり、尽きせぬ興味が湧くものです。
:知の巨人:小林秀雄の主たる業績や足跡は私には理解の範囲外でありますが美術論/音楽論に限っては喰い付くことが何とか可能です。 オーディオ論は昭和33年に書いた「蓄音機」などがそれに相当します。 これはその後のオーディオ評論に多大な影響を与えた節がありますし30サイクルの音の再生に執着した五味康祐を親しみと愛情を込めて揶揄していて、たいそう面白い読み物であります。 蛇足ながら「柳生十兵衛の作者のところへ、柳生十兵衛みたいな男が現れ、、、、」との箇所での「みたいな男」とはあのTさんでしょう。
小林がオーディオに対して長いキャリアと恐るべき慧眼を有していることは「蓄音機」に限らずその後の五味との音楽談義でも明らかです。 俯瞰的立場での核心を突く卓見は瀬川、五味といえどもとても及びません。 すでに「蓄音機」で小林はハイファイオーディオ趣味の隆盛とその帰結としての滅亡に至るプロセスを明解に予言しているのですから。

昨年に出た白州信哉(編)の本に小林の最後の頃のステレオ装置が載っていてさすがと思ったものです。 それは以下の構成でした。スピーカは不明ですが、アンプはQUAD22+QUAD、ターンテーブル/ガラード301、カートリッジ/EMT、アーム/たぶんドイツオルトフォン製EMT、であり、 それがさり気なく組み合わさって置かれていました。

小林の名著に御存知の「モオツアルト」がありますがそれを書き始めたのは太平洋戦争が始まった頃です。戦争中を通して折々書いて戦後間もなく上梓されたのです。 一つのまとまった形にはなっていますがそれぞれの時期のそれぞれの思いが複雑にからみ合っています。 あれを読むと小林は理性や理屈で音楽を聴いていたのでは無く、自らの感性を研ぎ澄まし、時に飛躍させて聴いていたのではと思います。 新訂第八巻での江藤淳の指摘の通りこれは詩であって音楽なのでしょう。でも私はむかしからあの時代になぜあのようなモーツアルト論を書くことが出来たのか不思議だったのです。 モーツアルトに限らず日本で演奏される西洋音楽は今日とは異なって想像を絶するほど乏しく劣悪なレベルであったであろうし普通の蓄音機で聴くことができる音の範囲では あのような感性の飛翔ができるとは信じ難かったのです。要するにわたくしは古びた安物の蓄音機で「モーツアルトのポリフォニイが威嚇するように」鳴るかどうかを疑っていたのでした。

すでにお読みになられた方も多々おられると思いますが、その疑問に対する解答は白州正子の「いまなぜ青山二郎なのか」(新潮文庫)と云う本で得られます。そこにはこう記されています。
;林秀雄(小林ではない)の『青山二郎略年譜』によると「昭和17年41歳、五月、小林秀雄、青山宅でモオツアルトをきき感動』としてあるが、この青山宅がどこであったか不明である。  中略  その頃彼は音楽に凝っており、ステレオが発明されるずっと以前に、高音と低音の蓄音機を部屋に置き、拡声器を何ケ所かに据えて、終日聞き惚れていたというのは有名な話である。 小林さんが『モオツアルト』を書いたのは、それから四年後のことであるが、本質的なところでジイちゃんとは、深く関わっていたのである。:

「モオツアルト」を書く直接の切っ掛けとなったその出来事は冬の道頓堀にあったのではなく昭和17年5月のある友人宅の蓄音機の音にあったことは明らかですがそれがどの友人のどんな装置か 全くもって不明でありました。でも「今なぜ青山二郎なのか」を読むと小林がモーツアルトを聴いて感動した装置は青山のものだとわかります。 それが比類なき美意識をもって知られる希代の好事家で、小林にとっても骨董道の大先達である青山二郎が一時期熱中したハイファイ電蓄システムであれば相応の音を出していたに相違なく、 ;決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機;でその感動を得たのではないことがわかります。 私にとってこれはたいへん大事なことでこれを読んで積年に渡る謎がまたひとつ解けた思いになりました。 白州の言では青山の電蓄のことは有名な話だそうですが迂闊なことにそれまでぜんぜん知りませんでした。 これを読んでわたくしは飛び上がるほどびっくりしたものですが驚く方がやはり不勉強なのでしょう。
白州正子の文章は技術の枝葉に疎い女性のお書きになられたものですから装置の正確な表現には欠けていますが、要するに青山は昭和17年にはマルチウエイのスピーカを、 ステレオ装置のごとく部屋のあちこちに並べて聴いていたのでしょう。または各部屋にスピーカを置いてそこまで線を延ばしていたのかもしれません。 でも当時は5分勝負のSPですからその可能性は無いと私は思います。 スピーカをたくさん並べていただけなのかも知れませんがステレオの発明される以前と言う表現を素直に受け取るとそれらをいっぺんに鳴らしていたと思われます。

三十年前には高橋悠治の「モオツアルト」批判があり、彼は「愛情を持った批判者」とは言えませんがそれなりに傾聴すべき点はあります。 でもこれを含めて後世の論評には知る限りでは青山の電蓄の存在は出ていないようです。全然気が付かなかったのか、知っていても如何に大事なことかが判らないので無視したのか、そのいずれかです。
昨年出版された小林特集本にはこれらの視点を欠いた「モオツアルト」批判がありました。私は「モオツアルト」、「ゴッホの手紙」の序文、「蓄音機」の三部作はそれこそ三位一体を為すものと思いますが その筆者は引用した文献の初出に関する記述から重要な「ゴッホの手紙」はお読みになられていない可能性があると思いました。 むろん小林の絵画や骨董趣味に与えた青山の極めて大きな影響は一顧だにされていないようでした。 総じて音楽の視点からの小林批判では表裏一体であるはずの近代絵画論はすっぽり抜け落ちていて近視眼的な浅さが気になります。

「モオツアルト」をオーディオ的に読むと「疾走する悲しみ」ではなく「威嚇するポリフォニイ」こそ重要であることが判ります。 「海が黒くなり、空が茜色に染まる」ようには鳴らないからこそ小林はそう表現し挑発したのではありませんか。 そんなことを重大視するのはオーディオマニアだけさ、という声がきこえてきそうですがわたくしはそうは思いません。 「僅かばかりのレコオドに僅かばかりのスコア、それに、決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機、---何を不服を言うことがあろう。 例えば海が黒くなり、空が茜色に染まるごとに、モオツアルトのポリフォニイが威嚇する様に鳴るならば。」、、、昭和17年5月のある朝、青山の電蓄はまさしくそう鳴ったのではありませんか。 そのとき実際に小林が眼にしていたのも吹き荒ぶ風、無気味な空、荒れ狂う波だったかも知れません。 でもその天変の光景に拮抗するに足る音を青山のスーパー電蓄が鳴らしていたのもまた事実でありましょう。 モーツアルトの音楽を抉る衝撃的なその音は天啓として長く小林の「脳味噌」に残り、昭和21年5月の御母堂の死の悲しさと同調し、それを遡る20年前の過去の音楽的記憶と同期して 疾走したのではありませんか。

疾走したのはモーツアルトの音楽であり小林の記憶でもあったわけで、あの朝の劇的なシチュエーションでの青山の電蓄の鮮烈な音の記憶が触媒になったはずです。 五味との音楽談義で発した「蓄音機の音もたった一回の歴史的事件だ」との言葉も青山の電蓄を踏まえると言い様のない重みがあるものです。凄い一言であります。

戦前の雑誌を見ると、ことアンプに関する限り45や2A3や50がロフチン回路やトランス結合さらには凝ったCR結合で使われていて今となんら変わるところはありません。 私はむろん戦後生まれですが戦前になかったものはケータイとデジカメくらいで大画面ビデオプロジェクタも1943年には既にありました。

でもマルチウエイのスピーカを多数個分散配置で鳴らしていたとすれば驚きですが文献で知る限りの天才青山でしたらあり得ない話ではありません。 太平洋戦争が始まった頃に「低音や高音の拡声器を何ケ所かに置いた装置」と言えば今様にいえば超ハイエンドシステムであるでしょう。
生そのままに鳴るという今の機械ならともかく戦前のSP装置で音楽の本質など判るか、と云う人もいるでしょう。オーディオに無縁の人はそう思っていても不思議ではありません。 でも論より証拠、21世紀の今日、一部の超マニアは大金を投じて大戦前の装置に回帰し大戦前のレコードを求めているではありませんか。
小林は46年前にこうも書いています、「それよりも、そういうレコードフアンの天国を、はっきりと思い描き、そうなればどう言うことになるかを考えてみた方がよい。 私達は、元の黙阿彌になるだろう。歴史と言うものを全滅させたハイファイシステムを前にして、私達は、何処で歴史を取り戻すのかがはっきりするであろう」と。 その予言は恐ろしいまでに見事に適中しているのでありますが、なってしまったものは仕方ありません。 歴史の歯車はどうにも出来ないものです。でもあの「モオツアルト」が一台の電蓄の音の啓示によってもたらされたものとしたら、やはりオーディオには一生をかけて取り組む価値がある、と言うべきです。




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